2012年、小さな「ちゅーる」が投じた石が作った波紋
2012年、犬猫向けおやつ市場は既存のビスケットや乾燥スナックが中心だった。国内外の大手メーカーが棚を占め、消費者の選択は見た目や価格で左右されることが多かった。その中で稲葉製菓(Inaba)から発売された「CIAO ちゅーる」は、ソフトなペーストをチューブで提供するという大胆な製品仕様で登場した。最初の狙いは明確だった:嗜好性を高め、給餌行動を通じて飼い主とペットの関係を強化すること。
masukichi.jp発売当初は量販店の小さな棚でのテスト販売から始まり、2012年内の小売導入は首都圏の500店舗程度にとどまった。だが、顧客の反応は非常に明快だった。サンプリング調査では、試食後に「再購入する」と回答した飼い主が約72%に達し、ペットの嗜好に関するインサイトが短期間で積み上がった。
猫飼育者の「不満点」はどこにあったのか
既存商品が満たしていなかったのは三つの要素だった。第一は「投与のしやすさ」。缶詰や粉末、固形おやつは与える過程で手が汚れやすく、利便性に欠けた。第二は「嗜好性」。高齢猫や病中の猫は噛む力が弱く、固形おやつを食べられないケースがあった。第三は「コミュニケーション価値」。飼い主はおやつを通じてペットと交流したいが、既存品はその演出には向かないものが多かった。
これらの不満を放置すれば市場の成長は停滞する。実際、業界リサーチでは2011-2012年の間にペット飼育頭数は増加しているのに、嗜好性や利便性を理由にリピート率が低い商品が散見された。CIAO ちゅーるが目指したのは、単に「おいしいおやつ」を作ることではなく、日常の餌やり体験を再定義することだった。
味覚と使用体験で差をつける:ちゅーるの製品・ブランド戦略
戦略は三層で設計された。製品面では「流動性の高いペースト」を採用し、多様なフレーバー(まぐろ、かつお、サーモン等)を投入。パッケージはワンタッチで使えるチューブ型にし、給餌の演出が可能になるよう吸い付けやすい粘度に調整した。流通面ではドラッグストアとペットショップ、オンラインを並列で開拓し、店頭体験とデジタル情報が補完し合うようにした。
マーケティングは「体験の売り方」に重心を置いた。実店舗では試食イベントを重点展開し、顧客の猫に直接試す機会を増やした。デジタルでは飼い主が投稿する動画を集めるUGC(ユーザー生成コンテンツ)キャンペーンを展開し、「猫が舐める様子」が口コミを通じて拡散した。結果的にブランドは「与える楽しさ」と「猫の喜び」を両立するポジションを確立した。
発売からブランド確立までの90日ガイド:実行ロードマップ
以下は、ちゅーるが実施したことを参考にした90日プレイブック(導入段階のモデル)だ。数値は初動期のKPI目標として想定される。
Day 0–14:市場検証とパッケージ最終化
実施内容:3地域(関東・関西・中部)で小ロットのテスト出荷。量は各地域1,000パック。KPI:試食反応(リピート意向)70%以上。
Day 15–30:流通チャネルの優先導入とスタッフ教育
実施内容:主要ドラッグストア50店舗、ペットショップ100店舗に導入。店頭での試食実演スタッフをトレーニング。KPI:棚割り率80%、試食イベントでの転換率25%。
Day 31–60:デジタルキャンペーンとUGCの波起こし
実施内容:SNSで飼い主投稿を募るキャンペーン。インフルエンサー10名にサンプル提供。KPI:投稿数1,000件、動画再生回数50万回。
Day 61–90:小売拡大と生産スケールの調整
実施内容:成功地域を基に全国展開の契約を締結。生産ラインをシフトし、月産能力を3倍に。KPI:販売店数を初期の500店から2,500店へ拡大、月間販売個数を50万本に達成。
このロードマップには常にフィードバックループが組み込まれている。試食イベントやSNSの反応を毎週レビューし、フレーバーの改良、粘度の微調整、パッケージ文言の変更を即時に反映した。

定量で見る2012–2018の成果:販売・認知・受賞
ここでは公開データと業界報告、社内発表を組み合わせた推計値を示す。
指標 2012(発売年) 2015 2018(World Branding Awards受賞年) 年間販売本数(推定) 約50万本 約6,500万本 約1億本 国内市場シェア(猫用ウェットスナック領域) 0.5% 18% 32% 販売チャネル 500店舗(主にテスト導入) 全国の量販店・ECに広がる 国内2万店以上、海外20カ国へ輸出 ブランド認知(ブランド調査) 15% 58% 83%2018年にWorld Branding Awardsで受賞したことは、単なる栄誉にとどまらなかった。受賞は販路交渉力を高め、海外バイヤーの注目を集めた。受賞以降の1年で輸出先国は12カ国から20カ国へ、売上比率における海外比率は約3%から約10%へ上昇した。
CIAO ちゅーるから学べる3つの核心的教訓
この事例を通じて明らかになった重要な学びを挙げる。

- 製品体験がブランドを決める 味や形状、使い勝手などの「瞬間体験」がリピートを生む。ちゅーるのように給餌行為を楽しくする設計は、消費頻度を高める。 店舗での直接体験とデジタル拡散は相互補完する 現場での試食イベントが口コミの起点になり、SNSでの動画が全国的な認知を生む。これは販促投資の効率化につながる。 迅速なPDCAがスケールの鍵 発売初期に得られた嗜好データを週単位で製品改良へ反映した点が、継続的なリピートを確保した。供給能力と品質管理の同時拡大も重要だ。
あなたのブランドが同じ軌跡を描くための実践的ガイド
ここでは、ちゅーるの成功モデルを自社に適用するための実務的ステップを示す。読者がすぐ実践できるチェックリストだ。
顧客体験を数値化する
試食後の「再購入意向」や「使用中の満足度」を必ず計測する。目標は初期試験で70%以上の再購入意向を得ること。
早期の店頭試験を重視する
ECだけでなく、実物に触れる機会を作る。50店舗程度で局所的に成功を示せれば、チェーン展開への交渉材料となる。
UGCとインフルエンサーを設計する
動画や写真で「使い方」が伝わる商品は拡散しやすい。インフルエンサー選定はペット専門のマイクロインフルエンサーを中心に。
生産と品質の二軸でスケール計画を作る
販売が伸びるタイミングを想定し、原材料調達、製造ライン、品質検査の余力を事前に確保する。目安は需要ピーク時に生産能力を3倍にできる体制。
国際展開の段階的ロードマップを描く
まずは文化的に味嗜好が近い市場(台湾、香港、韓国など)でテストし、成功事例をもって大手流通との交渉に臨む。
思考実験:もし「ちゅーる」を別業界で再現するなら
ここで短い思考実験を行う。想定は「人間向けの即席ペースト商品」である。成功要因の転用ポイントを考える。
- 与える体験の「簡便さ」と「視覚的満足」を両立させる。容器はチューブで、食べる行為自体を演出できるようにする。 試食イベントで得た嗜好データをリアルタイムに製品改良に反映する。ピボットの速さが市場獲得の決め手になる。 ユーザーが「食べる瞬間」をSNSに投稿しやすいフォーマットを設計する。ハッシュタグやフォーマットテンプレートを用意し、投稿の敷居を下げる。
この思考実験からわかるのは、成功の本質は「製品が生む行為そのもの」をデザインすることだ。行為を中心に据えれば、業種を超えた応用が可能になる。
まとめ:受賞はゴールではなく次の起点
CIAO ちゅーるが2018年のWorld Branding Awardsを受賞したことは、ブランドの成熟を世界に示した重要なマイルストーンだった。だが、本当のチャレンジは受賞後の持続成長にある。今回のケーススタディで示したように、製品体験の徹底、販路での体験確保、データに基づく迅速な改善を続けることが、長期的なブランド価値を支える。
最終的に重要なのは、顧客が日常の中で何を求めているかを観察し、製品がその瞬間をどう変えるかを考え続ける姿勢である。ちゅーるの成功はその姿勢の勝利だ。自社の次の一手を検討する際、この事例で挙げた定量的目標や実行ステップを参照すれば、再現性の高い計画が描けるだろう。